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付章 歌舞伎の台本とせりふ (8) 「演劇の台本は時代と民族性を映す」

シェイクスピアは『ハムレット』で、「役者は時代の縮図、簡素な年代記だ」と言っています。主語を「演劇」や「せりふ」に置き換えてもいいでしょう。

演劇は俳優と観衆の間に成立する芸術なので、作られた時代の傾向を敏感に映し出します。なぜでしょうか。第一に、人間は「時代の子」です。作者・俳優も観衆も時代の考え方から離れられません。第二に、演劇は演じる側の主観だけでは成立しない芸術です。演じる俳優と観る観衆がいてはじめて成立します。小数の観衆しか集まらない演劇は、短期公演はできても、長期講演は出来ません。経済的に成り立たない演劇は長続きできないのです。多数の観衆を集めるには、その時代の観衆の嗜好を読み取らなければなりません。つまり、演劇は時代と添い寝する性格を持っているのです。

また、延的はその時間・その場所に居なければ観られない性格も持っていますから、その演劇が生まれた国の人々の国民性・民族性を色濃く映します。
すなわち、演劇の基礎である台本・せりふには、その国・民族、その時代に生きた人々の考え方が強く映されています。

歌舞伎も人形浄瑠璃も、江戸時代の日本に成立した演劇です。当然、江戸時代の日本に生きた人々の考え方を強く反映しています。江戸時代の日本人は、仏教、儒教、伝統的な神道(明治以降の国家神道は別物)や民間信仰などの影響を受けていましたから、歌舞伎のせりふも当然そういう考え方に覆われています。また、歌舞伎・人形浄瑠璃は江戸時代の日本人の価値観や美意識・嗜好を強く映しています。

しかし、そういう宗教・思想が長い間生きてきたということは、その中に真理が含まれているということです。また、そういう宗教・思想の下に生まれた文化・演劇もその国の人々の生活にマッチしていたのです。善くも悪くも私たちの祖先が培ってきた文化ですから、その文化を捨てることはアイデンティティーの喪失を意味します。古い文化は一概に否定すべきではなく、取捨選択するのが正しい態度でしょう。

演劇は時代と密着しなければ隆盛になりませんが、そういう演劇は時代の変化とともに衰退する運命にあります。我々はその例をたくさん見てきました。けれども、国や民族、時代は違っても、同じ人間のことですから、共通して感動するものがあるはずです。歌舞伎やシェイクスピア作品が時代や国境を越えて親しまれているのは、その中に人間としての普遍的なものを含んでいるからでしょう。

『知らざあ言って聞かせやしょう』 ”心に響く歌舞伎の名せりふ” 赤坂治績著 株式会社新潮社 本体680円 より抜粋

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