恨みがあるなら金に言え 『勧善懲悪覗機関』 (2)
そういう世の中ですから、「昔は良かった」と昔を賛美する人も多くなりました。近代を飛び越えて、江戸時代を理想視する人もいます。しかし、それは事実と違います。江戸時代の日本には確かに優れた面もありましたが、身分制度など、遅れていた点もたくさんあったのです。だからこそ、徳川幕府は崩壊しました。
資本主義社会の現代から見ると、江戸時代は経済的に未発達でした。しかし、すでに金銭が人の心を蝕(むしば)む時代に入っていました。その証拠に、元禄期の西鶴や近松の作品にも、歌舞伎にも、金にまつわる話はたくさん出てきます。たとえば、『忠臣蔵』も忠義を旗印にしてはいますが、実は「金」と「色」の話です。(作者は「五段目」で斧定九郎に「金が敵」と言わせています)。
この芝居の初演は、幕末の一八六二(文久ニ)年。配役は四代目市川小團次の長庵・番頭久八の二役などです。黙阿弥はこの作品の後、一八六四(文久四)年に初演した『御所五郎蔵』の「縁切り」で、敵役・星影土右衛門の子分に「百人が九十九人欲を知らねえ者はねえ。乗り換えるのが当世だ。腹も立とうが我慢しろ。金が敵の世の中だ」と言わせます。そして一八七九(明治十二)年、英国のリットンの『マネー』を翻訳し、ズバリ、『人間万事金世中』という名題をつけます。さらに、一八八五(明治十八)年初演の『四千両小判梅葉』の「伝馬町牢内」で御金蔵を破って捕らえられ牢にいれられた富蔵も「地獄の沙汰も金次第だ」と言い放ちます(ただし、この諺は、文化文政期に式亭三馬が書いた『浮世風呂』に出てきます)。
黙阿弥は幕末の世情を写実的に描きました。名題にある「覗機関」は、見物人に穴から大きな箱を覗かせて、何種類も入れておいた絵を替えて見せる見せ物のことです。
この作品の趣向は覗機関のように世の仕組みを暴いて見せることだったのでしょう。
『知らざあ言って聞かせやしょう』 ”心に響く歌舞伎の名せりふ” 赤坂治績著 株式会社新潮社 本体680円 より抜粋



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