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2009年1月

自分ならではの志を持って(1)

アナウンサー 山根 基世さん

07年の6月にNHKを退職して、アナウンサー仲間と「ことばの杜」という組織を立ち上げました。目的は、子どもの「言葉」を育てること。全国の小学校に行って授業をしたり、親や先生たちに、言葉の大切さについて話したりしています。
今の子どもたちは、発表能力はすごく高いんですね。みんなの前に出て、堂々と話す。でも、「言葉を育てる」というのは、幸せに生きていくための力をつけさせること。いくらスピーチが上手でも、周りの人と心を通わすことができないようではだめ。「ごめんなさい」や「ありがとう」がきちんと言えるのが、本当の言葉の力です。

今の若い人たちは、仕事の話はできるけど、世間話ができない。世間話というのは、ものすごく高いレベルの言語能力が必要なんです。どこにくるかわからない球を上手に受けて、投げなきゃいけない。でも今は、自分が一方的にしゃべるだけの、「一人カラオケ」みたいな人が多くなっている。

マスコミも含めて、世の中全体もそうなっていますね。不安を一方的にあおって、人をうろたえさせるような言葉を垂れ流している。言葉って連鎖するんですよ。悪い言葉は悪い言葉を呼んでしまう。
私も不安になったり、うろたえたりすることはよくあります。特に若い頃は、仕事がうまくいかないと、自分が否定されたような気分になりました。入局から2年目の日記を読み返したら、「このごろよく死にたくなる」って書いてある(笑い)。こんなに下手で、とちりまくって、周りから馬鹿にされるのは、人間性が劣っているからだと思っていた。なんであの人はあの番組なのに、私はこの番組なのって、どうしても自分と他の人と比べてしまう。いつも他人のことを気にしているのは、とても苦しかった。

転機になったのは、作家の雫石(しずくいし)とみさんの番組を制作したこと。雫石さんは、極貧の農家に生まれて、小学校もろくに出ていません。空襲で家族を全部失い、浮浪生活を送った後、施設に入ったんですが、ひどい扱いを受け続けた。その彼女が45歳のある日、大学ノートを買って、日記を付け始めた。それ以来、書くことが支えになり、やがて作文コンクールに応募して、労働大臣賞をもらう。
それまで見下され、ののしられることしかなかったのに、生れて初めて人間として認められたんですね。その後も書き続け、65歳で最初の本を出しました。

耕論 「うろたえるなー不況の時代に」 朝日新聞 掲載より抜粋

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太陽があれば生きていける(2)

俳優・「無名塾」主宰 仲代 達矢さん

日本人は全学連時代以降、闘うことを忘れてしまった。フランスはじめヨーロッパでは、何か問題が起きると全員で闘うでしょう。「食うための闘い」でいいんですよ。まだリストラされていない人と一緒に闘う。だって、いつか自分がそういう運命にあうかもしれないですから。給料も、何十万円かもらっていたら。5万円でも分けて上げたらどうですか。生活のために闘うことを、日本人は忘れているのではないでしょうか。私も役者という仕事を通じて、悪しき権力に向かって闘っていきたいと思います。

時代が大変な時こそ、うろたえてはいけない。浮足だったらまともなことも考えられない。そう思いますね。
私自身は、うろたえることは、しょっちゅうあります。4年前から「ドライビング・ミス・デイジー」という芝居で奈良岡朋子さんと全国を回っています。今年300回を超えますが、私も76歳です。本番でお客様を前にして、長いセリフをぽかーっと忘れることがあります。頭の中がまっ白になったように、わからなくなる。奈良岡さんはびっくりするでしょうね。
でも、そこからが大事。彼女と連帯感が生まれ、どう助けようか、どう受けようか、台本通りがいいのか、アドリブの方がいいのか。とっさに対応してくれます。単にセリフを「運ぶ」だけではなく、セリフの中身をつかみ、役者がその場で自分から発想しているように話すようにしているから、この場を乗り切れるのでしょう。

人間とは、人生とは、常に不安定なものではないでしょうか。飛行機を発明したライト兄弟は、空を飛ぶという不安定なことを克服しようと思って飛行機を作った、と話したといいます。不安定な時こそ、新しい何かを生むということもあると思います。

役者なら一度演じたいあこがれの役の一つがシェクスピアの「ハムレット」ですが、実は、私は若いころからハムレットが好きじゃなかった。「生きるか死ぬか、それが問題だ」なんて、そんなの、言っていること自体おかしい。なんでそんなことを悩むんだ、と。こちらはガキの頃から食えなくて、毎日空襲にあって逃げまわっていたんです。「今日はなんとか生き延びたぞ」って思っていたんですから。
少年時代にあんな状況の中でも生きてこられた。役者になって、売れたり売れなかったり、苦しいこともありました。そんな私がいつも思うのは「人間、太陽がある限り生きていける」ということです。うろたえちゃあ、いけません。

耕論 「うろたえるなー不況の時代に」 朝日新聞 掲載より抜粋

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太陽があれば生きていける(1)

俳優・「無名塾」主宰 仲代 達矢さん

子供の頃は極貧でした。父を失い、母と姉と弟と妹と米一粒が食えない、そんな生活でした。東京都内の国民学校に通ったのですが、母は教諭から「本来ならあなたのお子さんたちが来る学校ではない」と言われたほどです。
中学一年の時に「昭和20年8月15日」を迎えました。日本中が貧しかった。私は弟と菓子を売ったりラーメンの製めん屋をやったりして稼ぎました。今、うちの若い者に「米一粒が食えなかった」なんて言っても、ぴんと来ないようですが。

役者になって60年近くなりますが、常に不安定な職業です。芝居一本一本が就職。今やっている芝居が終わったら、次が決まっていなければ、失業です。いつも不安です。次の保証はありません。退職金も失業保険もなし。ある意味で失業状態の日雇い労働者です。ほとんど食えない役者がいっぱいいます。

妻の宮崎恭子と自宅で始めた「無名塾」という俳優養成所が今年で34年になります。彼女が他界した後も、彼女の強い願いを受けて続けてきました。近く5年ぶりに塾生を募集します。今も28人、食えない役者の卵がいる。公演のない間はコンビニでバイトしたり臨時の派遣をやったりして、なんとか食いつないでいます。でも最近は採ってくれなくなったと言います。
この子たちがいよいよ苦しくなったら? そうですね。出演料を、私も俳優も裏方も、みんな同じにします。そうすればみんなにお金が行き渡る。あるいは、全員に出演料が出るような芝居を企画します。小さな組織ですが、経営者とはそういうものではないでしょうか。
経済が不安定になった、企業の経営が大変だ、だから首を切るとかリストラだとか問題になっていますね。もし私が企業家に何か言うとしたら、「これまでずいぶんもうけてきたでしょう。ためたお金を彼らに与えたらどうですか」 「自分たちの月給を下げて、下の人たちを上げたらいいじゃないですか」ということです。そんな単純な話じゃないかもしれませんが。

耕論 「うろたえるな 不況の時代に」 朝日新聞 2009.1.1 掲載より抜粋

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哲学で脳とこころを鍛える 主体性 (3)

こうして、じぶんの存在をじぶんの所有の対象とすることで、蹂躙されるのは主体としてのこのわたしではなく、わたしが所有している対象としてのわたしにすぎない、それによってわたしは無傷であると思いなすのである。

これはぎりぎりの逆襲である。この戦略が示すところは、みずからへの隔たり(=わたさいはそれではない)を確保することが、じぶんが、「主体」であることの条件となっているということである。「父」としてのわたし、「社員」としてのわたし、「日本人」としてのわたし・・・・。それらはわたしの属性ではあっても、わたしの存在そのものではない。それらのすべてを失っても、わたしがみずからへの隔たりとしての自己意識をもっているかぎり、つまりじぶんをじぶんとして意識し、またじぶんについて語りつづけるかぎり、わたしはわたしの存在を失わないというわけだ。

わたしが意のままにできるわたし、つまりわたしが所有しているわたし、わたしが自由に処分することのできる対象としてのわたし、それをわたしの意志で相手に供することでわたしは自由を確保できる・・・。この倫理を、拷問にさらされるときも、身を「売る」ことを余儀なくされるときも、ひとはぎりぎりのところで身を保つためにもちいる。つらい倫理ではある。

が、自己の自己からのこの隔ては、ひとがたしなみを失わないための一般的な方法でもある。状況にまみれ、がんじがらめになっているじぶんを後方からじぶんで眺める、そういう「離見(りけん)の見(けん)」(世阿弥)は、各人にはもっとも困難なものであるが、しかしこの隔たりをじぶんに対してもてることこそ、各人の「自己」を支えるものであろう。とすれば、おのれの望むままにふるまうのではなく、望むままにふるまおうとしているじぶんを後方から眺めることのできるじぶんこそ、ほんとうに「主体的」であることになる。

最初の推論とは逆に、やりたいことがほんとはあっても周りのひとのことを思いやって黙ってそれを抑え込む、そういう断念もまた、ひとが「主体的」であることの証である。状況に弄ばれるじぶんをひとがどれほど悲しもうとも。ひとは歳とともに「主体的」になる可能性を手に入れるようになるというのは、だからけっしてまちがいなのではない。

※「離見の見」とは、能楽の大成者・世阿弥の「花鏡」のなかにある言葉。「観客の見る役者の演技は、離見(客観的に見られた自分の姿)である。『離見の見』、すなわち離見を自分自身で見ることが必要であり、自分の見る目が観客の見る目と一致することが重要である」と世阿弥は述べています。

哲学で脳とこころを鍛える 哲学者・大阪大学総長 鷲田清一さん 雑誌「いきいき」掲載より抜粋

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哲学で脳とこころを鍛える 主体性 (2)

これに対して「主体的」というときには、行動において、あるいは判断において、じぶんなりの軸を失っていない状態をいう、他人に譲り渡すことのできない独自のもの、他者によって侵されてはならぬものをしっかりと保持しているときに、ひとは「主体的である」といわれる。

「主体的」ということについては、だから、じぶんの行動や判断をじぶんで決定できる主体、したがってまた他者にはうかがい知れないような内面性を備えた主体としてのあり方がなりたっているときにはじめて、ひとは「主体的」というのである。みずからの行為が引き起こしたことへの責任を引き受ける用意があるとき、ひとは(責任を帰しうる)「主体」として周囲から認められる。その意味では、子どもはまだ一人前の「主体」なのではない。
「一人前の人間」とは、その意味では、じぶんの行動をじぶんで決めることのできるひとのことである。つまり、自立した人間、オートノマス(自律的)な人間のことである。
「オートノマス」(自律的)であるとは、つまりじぶんが法=掟であるような存在、みずからの行動方針をみずから設定することのできる「自己立法」の主体であるということである。そこにおそらくひとの誇りはかかっている。

だから、人間がその誇りを蹂躙され、踏みにじられるような場面にまでおいつめられたとき、たとえば拷問を受けるときは、ひとは最後の最後、「好きなようにせい」「したいようにさせてやる」と拷問を吐き棄てることで、それはじぶんが決めたことだと思い定めることで、かろうじて「自己」の矜持を守ろうとする。わたしが相手にしたいようにさせたと宣言することで、他者の意のままにならない「自己」の最後の誇りを失うまいとするのである。

哲学で脳とこころを鍛える 哲学者・大阪大学総長 鷲田清一さん 雑誌「いきいき」掲載より抜粋

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哲学で脳とこころを鍛える 主体性 (1)

ふつう齢を重ねるほど、「自己」というものが確立してきて、じぶんの行動についても「主体的」な判断ができるようになると考えられている。けれどもじっさいのところは逆で、歳をいけばいくほどなにか行動を起すにもいろんなことが頭にうかび、にわかには行動に移せなくなる。
「ピアシング」や「ブルセラ少女」「援交」が話題になったときには、当事者である若いひとたちの一部は、大人の倫理を逆手にとって、「わたしの身体はわたしのもの、だからそれをどうこうしようとわたしの勝手」という理屈をこねたけれども、当の大人のほうは逆で、じぶんの身体がなったら周りのひとに迷惑をかけると日々感じることが増え、「わたしの身体はわたしのもの、だから・・・・・」という理屈をこねにくくなっているという気分のほうが勝っているのではないかとおもう。じぶんの家や財産については同じ理屈をこねているくせに。やりたいことがほんとはあってもそれを押し込める。個々は一番こだわっておきたいという気持ちがあっても、周りを思いやって、それを押し通すのをついためらう。そんな癖がじぶんでも情けなくなるくらいについているのを、ある日ふと思い知る。考えあわせるべきこと、計算に入れておくべきことが増えてゆくばかり、気がつけば、悲しいかなすかっとした決断が下せなくなっている・・・・・・。

思いどおりの主張をすることがもし「主体的」であるのだとすれば、幼い者こそつねに「主体的」であり、大人のほうはだんだん「主体性」を失う一方ということになる。「主体的であれ」とは、子どものころから学校ですっといわれてきたことだ。「自己責任」が理屈としてせまられるような機会がふえたことと関係があるのかどうか、近ごろは文部科学省の初等・中等教育の指導要領にもこの言葉が出てくる。
「主体的」と言うのは、英語の「サブジェクティヴ」の訳語であろうが、これはふつう「主観的」と訳される。が、「主体的」と「主観的」とではずいぶん語感がちがう。
日本語で「主観的」というと、否定的な含みでつかわれる。客観的な判断が下せないこと、あるいは、(思考主体の狭い経験からくる)ひどくバイヤスがかかった狭くて頑なな判断しかできないことを意味する。ただし、哲学で「サブジェクティヴ」というときはわたしたちの下す判断の一性質をいうのであって「主観主義」というときは別として、あまり否定的な含みはないし、ときには真理の根拠となる場所として肯定的に用いられもする。

哲学で脳とこころを鍛える 哲学者・大阪大学総長 鷲田清一さん 雑誌「いきいき」掲載より抜粋

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ほっと、ひと息!!

ストックの花

2 ・油菜(あぶらな)科。
・春の南房総でたくさん見かける。2月、3月が切り花出荷のピークらしい。
・地中海地方原産。ギリシャ時代から栽培。
  古代ギリシャやローマ時代では薬草として利用されていた。      
・「ストック」は英語名で「幹」や「茎」を意味し、  しっかりした茎を持つことに由来する。
(そういえばスキーにも「ストック」がありますね)

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落語を聴くと人間が丸くなる

ここで、また余計な話しで、「落語の効用」についてちょっと記しておきたい。
古今亭志ん生は、忠臣蔵の浅野内匠頭は落語を聴いていなかったばかりに、あのような事件をおこしたというのだ。いくら吉良上野介にいじめられても、なるほど、へェー、ああそうですか、調子を合わせて、なんとかその場をしのいでいれば、五万三千石が潰されず、家臣のものたちを路頭に迷わせることもなかったというのだ。

落語は大阪や江戸で発生した都市の娯楽である。都市の押しあいへしあいしている雑踏に生きる庶民の視線で噺が成立している。麦の穂に風がわたるような田舎では通用しない藝なのであって、よく志ん生師は、
「田舎にいくと、ハナシカを知らずカモシカがきたといって鉄砲持ってきた」
といって笑わせたが、実際そんなものである。そもそも落語を聴くことが趣味であるということさえ、まじめな麦の穂出身者には理解できないことも多い。落語はテレビの「笑点」であると思っているし、たまたまテレビに映ったから、ちょっと見た「珍しいもの」という認識である。彼らの人生には、まったく必要のないものだった。
まじめだからこそ短慮に腹を立てた内匠頭的な落語知らずの正義派の人たちが、これ以上増えないでほしいと願う。

落語てえものは、聞いていて決して害になるもんじゃない。落語ぐらいためになるものはありませんよ。落語をきいていると、自然と人間のカドがとれて、やわらかくなってくる。やわらかになってくれば、いうまでもなく人々のあたりがよくなって、ものごとが丸くおさまる。夫婦の仲だってよくなるし、家の中も明るくほがらかになる。(略)
落語てえものは、ただ笑うだけじゃなく、笑っているうちに、いろんな世渡りのコツといったようなことが、しらずしらず自分の身についてくる。こんな安いものはないですよ。

と自伝「なめくじ艦隊」で志ん生師はいうのだ。いろいろ嫌なこともありましょうが、眉根にしわをよせて不機嫌な顔をしていても、しかたありませんせ、ご同輩。

「落語で江戸を聴く」 槙野修著 PHP研究所 定価 本体1500円(税別)より抜粋

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「酒」にちなむおもな落語 そこつの釘

引っ越したばかりの家で、女房が亭主にほうきをかける釘を柱に打ってくれるように頼んだ。ねっからのそこつ者である亭主は、八寸もある瓦釘を柱ではなく。壁に全部うちつけてしまった。これをみた女房は、隣の壁に釘の先がでているにちがいないから、隣の人が怪我する前に謝りにいったほうがいいと亭主に詫びにいかせたところ、そこつ者の亭主は隣ではなく向かいの家にいってしまう。やっと隣の小間物屋さんへおもむき、引っ越しのあいさつかたがた釘のお詫びをするが、釘は仏壇の如来様の頭につきささっていた。たいへんだ、ここまではほうきをかけにくるわけにはいかないという男にあきれた小間物屋の主人が、お宅のご家族は何人かとたずねると、男は女房と七八歳の親父がいると答える。お年寄りの姿はみえなかったようだが・・・・・とつぶやく主人に、押入れに入れたままだしてやるのをすっかり忘れていたという。主人「これは驚いた。世の中にどんなにそそっかしいといって自分の親を忘れる者がありますか」。男「なに親をわすれるぐれぇはあたりまえで、酒を飲むとときどきわれを忘れます」。

「落語にみる 江戸の酒文化」 旅の文化研究所編 坂口福美著 本体2200円(税別)より抜粋

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「酒」にちなむおもな落語 らくだ

いつものそのそしていることから、らくだとよばれている男が、ふぐにあたって死んでいるのを友達がみつけた。通りかかったくず屋がらくだとはなじみだというので、所帯道具を買ってもらおうとするが、どれひとつ売り物にならないことを知っているくず屋は、友達に線香代をわたしてひきあげようとする。ところが質の悪いこの男、くず屋の商売道具をとりあげ、自分の代わりに長屋の月番に香典をあつめるようにいってこいという。これでおわりかとおもいきや、今度は家主に、飲める酒を三升と肴は芋に蓮にはんぺんぐらいでいいから、少し塩を辛めに煮てどんぶり一杯もってこい。だめだというなら、死骸をしょっていって死人にかんかんのうを踊らせるといえと命ずる。家主は、そんな脅しにはのらず、死人のかんかんのうをみてみたいなどといったから、男はくず屋に死体をかつがせ、家主の家で本当にかんかんのうを踊らせた。これにはさすがの家主も青くなって、酒と煮しめをもってくると約束する。最後に八百屋で早桶にする四斗樽をもらってこいというので、またかんかんのうをもちだして、樽と荒縄をもらってきたくず屋は、やっとお役ごめんになる。

香典と酒肴がそろったところでくず屋が帰ろうとすると、男が清めに一杯やっていけという。酒が好きなくず屋は、飲むと商売に差し支えるといって断るが。無理やり飲まされると、これがなかなかよい酒。もう一杯、もう一杯とすすめられて飲んでいるうちに、くず屋は人がかわったようになり、そっちの大きいのでつげといいだす。すると、さっきまで酒を無理強いしていた男のほうが、もう酒はしまいにしようとなだめるなど、すっかり立場が逆転。死人の髭を剃るかみそりを借りてこいと、今度はくず屋が命令する。自分は長屋の連中に顔を知られていないからとしぶる男にくず屋は、「もし貸さねぇとぬかしゃがったら、死人をしょってきてかんかんのうを踊らせるとそういいねぇ」。

「落語にみる 江戸の酒文化」 旅の文化研究所編 坂口福美著 本体2200円(税別)より抜粋

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「酒」にちなむおもな落語 王子の狐

狐が女に化けるのをみていた男が、こちらから狐を化かしてやろうとおもいたち、海老屋という料理屋に連れてくる。男が酒や肴をじょうずにすすめるものだから、女はすっかり酔ってしまう。いい時分に起こしてあげるからと女を横にならせておいて、男はそっと部屋をぬけだした。そして女中に自分は王子のおじのところへいってくるが、もしも遅くなったときは女を起こしてあげてほしい。がまぐちは女に預けているから勘定は女からもらってくれと言い残してでていった。

さて、女中に起こされた女は、男が勘定をせずに去ったことを知って、驚きのあまり狐の耳をひょいとだしてしまったから、びっくりした女中ははしご段からころがり落ちる。すぐに店の若い者たちが二階にあがり、おおぜいで狐を取り巻いて棒でひっぱたくと、かなわないと思った狐は一発臭いのを放ってすばやく逃げだした。

一方男は、海老屋のたまご焼きをもって友達をたずね、狐をだましたことを話すと、お稲荷さまのお使い姫といわれる狐をだましててにいれたたまご焼きなど、食べたらたたりがくるといってつきかえされたから、さすがの男も反省する。さっそく次の日に手土産をもってあやまりいくと、子狐がでてきた。おっかさんへのお詫びのしるしだといってぼたもちを渡すと、くわえて穴のなかへ入ってしまう。奥では子狐の母が、「これこれ、食べるんじゃないよ。おおかた馬のくそかもしてない」。

「落語にみる 江戸の酒文化」 旅の文化研究所編 坂口福美著 本体2200円(税別)より抜粋

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「酒」にちなむおもな落語 子ぼめ

ご隠居の家にこもかぶりが一本届いていることを聞きつけた熊さん、一杯飲ませてほしいとやってきた。ご隠居は、おごってやってもいいがお世辞のひとつもいえなきゃだめだと、ほめ言葉の数々を熊さんに教えてやった。熊さんは、今教わったことを忘れてしまうからといって、ご隠居が一杯おごるというのを断って帰っていった。さっそく見知らぬ人に試してはみたがうまくいかないので、なじみの伊勢屋の番頭さんを相手にお世辞を言おうとするが筋書きどおり行かない。そこで奥の手をつかおうと、番頭さんの年齢を聞いたところ四〇だという。四五以上のほめ方しか教わっていなかった熊さんは、どうみても厄そこそこだといって番頭さんに殴られる。赤ん坊なら怒ることもなかろうと、金太の子供をほめにいった熊さん、大人のほめかたとこんがらかってしまい、一歳の赤ん坊にむかって、熊「一つにしちゃてぇそうお若ぇ」。金太「ひとつで若いならいくつにみえる」。熊「どうみてもただだ」。

「落語にみる 江戸の酒文化」 旅の文化研究所編 宮田登著 本体2200円(税別)より抜粋

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「酒」にちなむおもな落語 二番煎じ

火事は江戸の花などといったが、冬から春にかけての火事どきには火の番を常雇いのものにはまかせておけないと、町内の旦那衆が順番にでて番小屋に詰めることになった。ある冬の寒い夜、一回りまわって番小屋にもどってきた旦那衆のうち年長の者が、娘にもたされたといってひょうたんにいれた酒をだしたところ、あるものが番小屋で酒を飲むことはできないが茶を飲むのはよいだろうといって、どびんの茶を空けてひょうたんの酒をいれた。考えることはみな同じとみえて、お茶ならわたしももってきたと、次々にたもとから酒をだし、どびんで燗をする。なかには、手回しよく猪鍋の用意をしてきたものまでいて、猪の肉をつつきながら熱い酒を茶碗であおり、旦那衆はみなへべれけに酔っ払ってしまった。

そこに、見回りの役人があらわれたから、あわててどびんと鍋を隠したが、めざとくみつけた役人はどびんの中身を問う。風邪の煎じ薬だと答えると、じぶんも風邪をひいているから煎じ薬をなみなみとつげと命じ、「ああうまい煎じ薬だ。寒いときはこの煎じ薬に限る」といって何倍もおかわりをする。また、鍋のほうは煎じ薬の口直しだというと、おおいに興味をしめしてこちらも何杯もおかわりをするものだから、自分たちが食べる分がなくなるというので、もう煎じ薬がなくなったと告げると、役人は「ないとあらばいたしかたない。しからば拙者はもうひと回りまわってくるから、二番を煎じておけ」。

「落語にみる 江戸の酒文化」 旅の文化研究所編 坂口福美著 本体2200円(税別)より抜粋

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「酒」にちなむおもな落語 芝浜

魚屋の熊さん、いつもより早く買いだしにでたため、芝浜へきてもまだ夜が明けない。仕方なく夜明けを待つが、うっかり眠ってしまいそうなので、浜におりて湖水で顔を洗うと、足に革の財布がひっかかった。貧乏ぐらしの熊さんは、天からの授かりものとぬれた財布を懐にしまい、一目散に家へ帰ってみると、二分金でなんと五〇両もはいっている。おかみさんはその財布を預かり、浮かれる熊さんを無理やり床につかせた。夜が明けて再びめざめた熊さん、上機嫌で湯にゆき、酒屋と店もちの魚屋へ寄って肴をあつらえ、友達をよんで祝いの酒盛をして、またひと眠り、夕刻にめざめた熊さんは、おかみさんにさっきのはなんの祝いだったのかときかれて拾った五〇両のことをいうとそれは夢だといわれて愕然とする。今度こそ生涯酒を断って一生懸命にかせぐという熊さんに、おかみさんは三年間酒を断ってくれるように頼んだ。

翌日から心をいれかえた熊さんは、酒を断って商売に精をだし、三年間みっちり働いた。そして三年目の大晦日の夜、おかみさんは押入れから大金の入った長い竹筒をだしてきた。じつはこの金、三年前に熊さんが芝浜で拾い、おかみさんがお上に届けたが落とし主がなくてもどってきていた。夢をみたことにして金のことを隠していたのは、途中で熊さんの気がゆるんでしまうことを怖れたからだと詫び、あらためて熊さんにその金を渡す。そして、約束の三年がすぎたから酒を飲んでおくれとすすめるが、熊さんは酒はやめておこうという。いぶかしがるおかみさんに、熊さんは、「酒を飲んだら、また夢になるといけねぇ」。

「落語にみる 江戸の酒文化」 旅の文化研究所編 坂口福美著 本体2200円(税別)より抜粋

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「酒」にちなむおもな落語 長屋の花見 

家主が長屋のみんなをあつめて花見にいこうともちかける。酒と肴まで用意してあるというからみんな喜びいさんで賛成するが、じつは酒にみえたのは番茶を煮出したもので、たまご焼きはたくあん、かまぼこが大根という趣向だった。むしろの毛氈を月番にかつがせて向かったさきは飛鳥山。きょうは無礼講だから遠慮なく飲んでおくれと家主は景気よくすすめるが、番茶の酒では酔ったふりもできず、長屋の連中はだんだん気がめいっていく。

このままでは心が残っていけないと、本物の酒と肴を失敬しようということになり、ねらいをつけた女連れの一行の前ではでにこしらえげんかをしたところ、おもわくどおり一行は逃げていった。そのすきに拝借した酒と煮しめで、これからが花見とばかりに長屋の連中は大浮かれ。一方、にげていた一行がもどってきて、樽一本とお重がなくなっていることに気づき、番頭らしき男が肌を脱ぎ、てぬぐいはちまき姿で一升樽をふりまわして取り返しにきた。ところが、酔った長屋の連中が、その樽で殴るなら殴れとすごんだものだから、その男「あっ、この樽・・・・これはお酒のお代わりをもってまいりました」。

「落語にみる 江戸の酒文化」 旅の文化研究所編 坂口福美著 本体2200円(税別)より抜粋

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「酒」にちなむおもな落語 大山詣り

大山詣り
江戸の衆がつれだって大山詣りにくりだし、無事お山をすませた後、藤澤の宿で無礼講となった。今年は酒をのんで暴れないと誓い、約束を破ったときにはまげをとられてもかまわないといってついてきた源坊は、お山をすませて気がゆるんだのか飲み方がひととおりではない。そのうち、刺身皿を他人の頭へかぶせたり、取っ組み合いのけんかをしたり、大暴れをしてしまう。みかねた先達の命で、布団でぐるぐる巻きにされた源坊、仲間たちにくりくり坊主にされてしまった。翌朝ひとり置き去りにされた源坊は、髷を取られたことが悔しくてたまらない。てぬぐいを姉さんかぶりにし、ほかの連中が徒歩で帰ったことを確かめて、自分は三枚駕籠をしたてて一足先に家へ帰りついた、さっそく家におかみさん連中をあつめ、お山をすませて藤澤の宿で一杯飲んだ一行は、思い立って金沢を船で回ったのだが、その船が転覆して死骸も上がらない。自分は腹の具合が悪く宿にいたから無事だったが、ひとりだけ生き残って申し訳ないから頭をまるめて後世を弔うつもりだといって、てぬぐいをとって坊主頭をみせたものだから、半信半疑のお上さん連中も源坊の話を信じこんだ。そして、自分たちも髪をおろして菩提を弔おうと、みんな坊主頭にしてしまい、お線香をたいて念仏を唱えているところに、ほかの連中が帰ってきた。連中の怒ったことといったら、いまにも源坊の息の根を止めようという勢い。先達は「そんなに怒ることはない、これが本当のおめでたいんだ」。「どういうわけでめでたいんだ」。先達「お山がすませておけがなくっておめでたい」。

「落語にみる 江戸の酒文化」 旅の文化研究所編 坂口福美著 本体2200円(税別)より抜粋

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「酒」にちなむおもな落語 のめる

言葉の癖というものはおもしろいもので、熊さんは二言目には「つまらねぇ」といい、酒飲みの民さんはすぐ「のめる」という。この癖を互いに指摘しあったふたりは、その言葉をつかったら五〇銭の罰金を払うことにした。民さんは、熊さんのつまらねぇといわせるにはどうしたらよいか、ご隠居に知恵を授かるが,熊さんには見破られたうえ、自分のほうがのめるといって罰金を払わされてしまう。悔しがる民さんはまたご隠居をたずね、熊さんの好きな将棋でひっかける策を教わる。熊さんがやってくる頃合いをみはからい、民さんは縁側で将棋をさしている。真ん中に王様を置き、持ち駒は歩が三兵、桂香金銀三枚と珍しい詰め将棋だが、有名な所沢の藤吉さんが考えたものだという。将棋にめがない熊さんが一生懸命考えているところに民さんが「どうだつまるか」ときいたものだから、熊さんは「こいつは幾ら考えてもつまらない」と口がすべってしまった。が、あまりにみごとなやりかたに敵ながらあっぱれと思い、五〇銭のかけだが一円やろうといい。これからは一円のかけだという。民さんが喜びいさんで「ありがてぇ。五〇銭よけいにとればのめらあ」。そこですかさず熊さん「あっ、そこでいまのをさっぴいておこう」。

「落語にみる 江戸の酒文化」 旅の文化研究所編 宮田登著 本体2200円(税別)より抜粋

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「酒」にちなむおもな落語 そこつ長屋

そそっかしい人ばかりが住んでいる長屋に、まめでそそかっし男と無精でそそっかしい男がいて兄弟のように仲がよかった。ある日、まめなほうの男が浅草の観音様へ参詣にいくと、仁王門を入ったところに人だかりがしている。ひとなみをかきわけていくと、身元がわからない死人が横たわっていた。こもをまくってみると兄弟分の熊さんにそっくりだというので、あわてて長屋にもどってきた。寝ている熊さんをたたきおこして、おまえはゆうべ浅草で行き倒れになって死んだのだと説明するが、当の熊さんは死んだ心持ちがしない。ゆうべ本所の叔父さんの家で一杯ごちそうになった帰り道、酔いがさめて寒気がしたから夜明かしで売り物をつまみながら五合ばかり飲んだが、後のことはよく覚えていないというと、その夜明かしの悪い酒にあったのが死因だと納得させられる。早く死骸と対面し、浅ましい姿を他人様にみられるのはいい気持ちじゃないが、これも因縁とあきらめようと死骸を抱きしめる。死骸の番をしていた老人が「良くご覧、おまえさんじゃなかろう」というと、熊さん「なーに、抱いた死骸は俺に相違ねぇが、抱いている俺はだれだろう」。

「落語にみる 江戸の酒文化」 旅の文化研究所編 坂口福美著 本体2200円(税別)より抜粋

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「酒」にちなむおもな落語 ずっこけ

後引き上戸というのが世間にはざらにいる。この男がまさに後引き上戸で、ここで酒をやめようと思うが、ほかの客が飲んでいるのをみると寂しくなってもう一本ということになる。店の若い衆が体に毒だと止めても、俺のはいくら飲んでも酔わないどころかだんだん醒める酒だといっては、もう一本もってこいという。若い衆が、また明日飲み直しを願いますというと、俺はお前の声にほれて店にはいったなどといって、唄をうたいだしたりするものだから、店の外には見物人が立つ。

そのなかに偶然男の兄貴分がいて、風呂のかえりに初めて立ち寄った店で財布をもってないことをいいだせず、ずるずると飲んでいたというこの男の勘定を代わりに払って連れて帰るが、途中女をからかったりしてひどく世話をやかせる。そこで、この酔っ払いのえり首をもって肩に引っ掛けて連れてきたところが、家に帰ってきたのはその男の着物ばかり。急いでひきかえしてみると、四つ辻のポストのそばで素っ裸でいばっており、ひとのことを追剥ぎよばわりするから、さすがの兄貴分もこれが世話のやきじまいと怒って帰る。酔っ払いの女房は女房で、「ほんとにお前さんしょうがないね。どんなに心配したかしれやしない。それでもまあよく人に拾われなかったこと・・・・・・」。

「落語にみる 江戸の酒文化」 旅の文化研究所編 坂口福美著 本体2200円(税別)より抜粋

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親の心子知らずの愛憎噺(6)

「こちらの方かい? どうもさきほどはお手伝いをいただきましてありがとう存じました。おかげで、どうやら目塗りもいたしまして、ひと言お礼を申し上げようとごあいさつにでました」
「(若旦那)うかがえた義理じゃございませんが、あんまり急なことで、われを忘れて駆けつけたわけでがざいます。しかし、なにごともなく、また、いつもお変わりございませんので、お喜び申し上げます」
「ありがとう存じます。おかげさまでわたくしも患いもいたしませんし、あなたにもお変わりがなく、と申し上げたいが、大層きれいな絵を描けましたね。わたくしどもにおいでの時分には、そんな絵なんぞは描いてあげなかった。(身体髪膚父母に受け、あえて毀傷(きしょう)せざるを孝の始とす)ぐらいは、わたしゃおまえに教せえてあるつもりだ! そんなざまでこの近辺を飛んで歩いて、あれがもと伊勢屋の倅だったのかと人様から指をさされる。親の顔に泥を塗るとは、お前さんのことだ!」

最初はお互いに他人行儀にていねいに言葉をかわす。男親ととっくに成人した息子の、いわば儀式のような会話で、これはとくに勘当した息子だからというより、男同士の複雑かつ微妙な配慮といえなくもない。理の勝っていた大旦那も、みずから理として口にだした箴言によって、かえって感情が高ぶってしまう。この部分の円生師の演出はまことに父親の心理を描いて卓出している。
親と子の愛憎劇は、やはり男親と息子という配役を得て、落語にいっそうの深みをもたらすことになった。

「落語で江戸を聴く」 槙野修著 PHP研究所 定価 本体1500円(税別)より抜粋

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親の心子知らずの愛憎噺(5)

このセリフは林家正蔵の名前によるもので、登場人物のわずかな会話のなかに、その人物の年齢・職業・性格また経歴までを伝える、まことに名人ならではの神経のゆきとどいた演出が、見事にここにもあるのだ。

やっと目塗りがすむと同時に、火の勢いもおさまって、方々から火事見舞いがくる。なかには父親の名代できた立派な若旦那がいて、伊勢屋の大旦那は、「どこの? ああ、紀伊国屋さんの、ご立派におなんなすったねえ、年頃はうちの馬鹿とちょうど同じぐらいだな。他所の倅さんはみんな利巧だね。・・・・・うちのやくざなんぞはいまごろ木賃宿で野垂れ死んで・・・・」とついつい涙を流すのである。

火事見舞の客が帰ったあと、番頭は大旦那に、どうにか目塗りができたのは、あの屋根を飛んできた若い衆のおかげで、じつはあれはご勘当になりました若旦那なんです、とうちあける。
えッ、籐(徳)三郎が、と驚くと同時に、よく屋根を飛べた、危ないことをするじゃないか、もし飛びそこなって怪我でもしたら、とつい親心が口をついてでてしまう。番頭は、その若旦那がお目にかかりたいと待っていますので、お会いなすったらいかがですかと、大旦那にいうのである。すると、

「いや、いや、会わない、会わない。なにもわたいが赤の他人に会うことが・・・・」
「いえ、赤の他人なればこそ、こういうときにお手伝いをいただいたのですから、ひとことぐらいお礼をおっしゃるのが、これは道理(みち)ではないかと思うんでございますが」

と番頭は主人の頑固さを逆手にとって、合わせることにするのだ。(円生師)。また、正蔵師の演出では、つぎに、大旦那の、「ん、お前さんは相変わらず目先がきいている。偉い。うん、赤の他人で火事の手伝い人、その人に会って礼をいうならいいや」といううれしさにあふれたセリフを入れている。ただ、円生師は、この大旦那をたぶんに情より理の勝った人物としているので、正蔵師のように、うれしさを表現していない。それはつぎのセリフにもあらわれている。全身に手首まで彫物をした若旦那が、短い役半纏だけで台所の土間に控えている。

「落語で江戸を聴く」 槙野修著 PHP研究所 定価 本体1500円(税別)より抜粋

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ほっと ひと息!!

バラの花 「生田緑地バラ苑」にて撮る

Rimg0103web・薔薇(はら)科。

・開花時期は5/1頃~11/25頃

・とげのある木の総称である「うはら」はたは「いばら」(茨)が「ばら」に略された。

・春(5~6月)と秋(9~11月)に咲くものが 多い         
・甘い香り。香水の材料にも使われる。               
   
Rimg0072web                   


    

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