日本人の乾いた心耕そう
戦後の日本の歩みを一言でいえば、干からびていったということじゃないか。今の若者を見ていると、すっかり表情を失っている気がするね。家族でも会話が少なくなっている。人間の精神に大きな干潟ができ、それが乾いてひび割れてきているようだ。高度経済成長期のカラーテレビに始まって、ワープロ、パソコン、携帯電話・・・・。便利なものは良いという価値観にどんどん染まったが、その中で殺されていったものもたくさんあるわな。無差別殺人や、親殺しがあちこちで起きている。便利さと引き換えに、豊かな表情や会話を醸し出す心のゆとりを失ってきたということやないかな。
戦後63年、日本は大変なところに行き着いてしまったと違いますか。
思い出すのは、戦後50年の年にあった阪神大震災。寝室で洋服ダンスが倒れてきた。頭の位置がほんの3、4㌢ずれていたら、死んでいただろう。この震災で心の傷を受けた遺児らを支える施設をつくるという案が持ち上がり、共感して全国に支援を呼びかけた。寄付が寄せられ、震災のちょうど4年後に「浜風の家」を兵庫県芦屋市に開くことができた。木造のログハウス風の建物で、今でも一ヶ月に400~500人の子どもたちが出入りしている。始めてみると、遺児だけではなく、不登校児もやって来るようになってね。お弁当を持ってきて、年上や年下の子どもやおじいさんと話しているうちに元気になって、やがて学校に帰っていく。子どもたちも自分で何とかしようと一生懸命、模索しているという事なんだろうね。
そんな姿も見てきて、干からびた精神がそのままおわってしまうことはない。と僕は思っている。これまでに重さ1.5トンになる分量の原稿用紙に文章を書いてきた。ワープロやパソコンは使わず、すべて手書きでね。その方が人と違う発想が生まれてくる気がする。実際、エッセーの審査をしていても、手書きの原稿は読みづらいが、何故か、読ませる内容が多いんだ。今の時代に思いがけないアナログ名表現こそ、新しい可能性が隠れていると思うね。たとえば、点字という手段はどうか。点字作文コンクールの審査委員長をしているが、目の不自由な方たちが深い視点をもって文章を書いていることに気づかされる。点字が一般にもっと普及して、健常者の表現活動にも使われるようになってきたらいいな。目の不自由な人たちにも何かを伝えたいという思いが広がり、うるおいを取り戻していけるんと違うかな。
今後10年ぐらいかけてじっくりやらないといけないのは、日本人の乾いた心を耕していくことでしょう。意外と、そこから新しい文化が生まれてくるかもわからんね。
あしたを考える 『夏に語る』 作家 藤本 義一さん(75) 朝日新聞掲載より 抜粋
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 【上席】創作(自作)落語の部 東海道五十三次(神奈川編) (5)(2009.06.29)
- 【上席】創作(自作)落語の部 東海道五十三次(神奈川編) (4)(2009.06.27)
- 【上席】創作(自作)落語の部 東海道五十三次(神奈川編) (3)(2009.06.26)
- 【上席】創作(自作)落語の部 東海道五十三次(神奈川編) (2)(2009.06.25)
- 【上席】創作(自作)落語の部 東海道五十三次(神奈川編) (1)(2009.06.24)
コメント