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落語という話藝の魅力(1)

落語の真髄を「芝浜」にさぐる
桂三木助は「芝浜」にこんな枕をふる。
 東京が江戸といいました頃とはたいへんに違うようですな、隅田川で白魚(しらうお)がとれたなんて時代があったそうでして、広重百景なぞを拝見しますと、大きな四手網を下ろしまして、隅田川で白魚を獲っているところなぞもありますけれども、・・・・・あたくしはひところ人形町のほうに住んでおりまして、ちょうどお湯に入っているときにご年配の方もご一緒に入っていらっしゃいまして、いろんな話の末に、ねェ、昔はこの近所は、一月になりますと小鮨(こはだ)の鮨を売りにきたんですよ、なるほど十二月半ばごろから一月にかけての小鮨というものは、ほんとうに脂ののっておいしいところですなァ、二月になりますとね、大橋の白魚というのを売りにきまして、こいつは旨(うも)うござんしてね、なんてェ話をうかがいました。

などと、まだ江戸情緒がたっぷり残る昭和初期の旬味の思い出を語り、そして、松尾芭蕉の名句を枕の最後に引いて、
 翁の句に、「あけぼのや白魚しろきこと一寸(いっすん)」なんてェのがありますな。
で、噺に入るのである。まことに味わいのいいこざっぱりとした、それでいてなんとも懐かしい気分のただようじつにいい枕である。特に、芭蕉のことを翁と略称するところに注目したい。ときには「芭蕉の句に」としたときもあるが、たんに「おきな」といったほうが、老翁の白い装束、白髪の姿を思い浮かべることができ、白魚の白さとあいまって、聴くもののイメージに余分な色あいが入ってこないのである。この芭蕉の句じたいは「野ざらし紀行」のなかほど、近江路から美濃、さらに大垣から南行して、桑名の本統寺に泊まり、「草の枕に寝あきて、まだほのぐらきうちに濱のかたに出て、明けぼのやしら魚しろきこと一寸」と詠んだ句で、江戸の作句ではない。

「ねぇ、おまえさん、おまえッ」
「おッ、お、おぅ、やけな起こしかたするなよ、びっくりするじゃねぇか、よく寝ていろところで」

おかみさんが亭主を起こす場面から「芝浜」は噺に入る。「やけな起こしかたするなよ」の「やけな」という言葉がまずもって江戸っ子風でいい。今朝からはちゃんと商いにでる約束じゃないか、とかみさんに責(せつ)つかれて、亭主はいやいやながら魚の仕入れに、まだ夜の明けぬ暗い芝の浜の問屋にでかける。まさに芭蕉の「まだほのぐらきうちに濱のかたに出て」なのである。
枕の後半でふった芭蕉吟の「あけぼの」とか、「しらうお」の語句が、夜明け前の寒気のなか身を縮こませて魚を仕入れにゆく棒手振(ぼてふり)の魚屋の様子をいちだんと鮮明にしている。みごとな枕の効果といっていい。そのせいで噺への導入が滑らかで、しかも亭主の吐く息が白くみえるほどの写実性をもって、情感あるれる第一幕へ私たちを誘ってくれるのである。

「落語で江戸を聴く」 槙野修著 PHP研究所 定価 本体1500円(税別)より抜粋

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