« 落語的夫婦の情愛 「火焔太鼓」(3) | トップページ | 落語的夫婦の情愛 「かんしゃく」(2) »

落語的夫婦の情愛 「かんしゃく」(1)

『かんしゃく』に聴く父親の役目
明治期に新作として、益田太郎冠者が書いた『かんしゃく』である。
桂文楽は、癇癪のかたまりをほぐす役が奥さんの役でございまして、まことにご婦人はご損でございましす。家にあっては親に従い、嫁にしては夫に従い、老いては子に従い、昔はこういうことを申しておりました。とさらりと噺にはいる。

夏の夕刻、会社からご主人が運転手付きの自家用車でお帰りになる。そして、いきなり、「おい、こら!おまえたちは何をしとった。みな寝とったのか!」と玄関への出迎えがないことをおこる。掃除したままで箒がたてかけてあったり、玄関に女どもの履物が脱ぎ散らしてあったり、帽子掛けが曲がっていたり、庭に水を撒いてなかったり、天井にクモの巣があったり、座布団が出ておらず、しかもお茶を出すことを忘れたり、床の間の花や額が曲がっていたり、といちいち怒ることを探しては癇癪を起こすのだ。あまりにヒステリックな叱言に奥さんの静子さんは、

「旦那さまお願いがございます。あたくし、どうしてもご当家へは辛抱しかねます。あたくしを実家へお帰しを願います」

とついにいってしまう。旦那は、こっちから暇を出さないのに貴様の方から、と怒りに震え、帰れ、帰れ、馬鹿ァ、と声をあらげるのだった。

静子さんは実家に帰り、涙を流す。その様子を両親が見て、どういうことだと事情を聞く。「旦那さまが出てけとおっしゃった?そうじゃない、お前さんの口から」と聞いて、父親はとんでもないこと、それはわがままだと叱るが、母親は娘の肩を持って、先方さんは外面のいい方で、と悪口をいい、あんな家へ嫁にやっておくのはかわいそうだとさえいうのである。それを聞いて、父親は、甘やかすのもいい加減にしなさいときつくわが女房を咎める。そして、父親はちょっと興奮したことに照れながら、娘に少し笑みをもらしながら、次のように優しく諭すのである。

「静子、もう少し前へおいで。え、お父さんがね、いいことを聞かせよう。こういうことがある。いいかい、「煙くとものちに寝やすき蚊遣りかな」・・・・・・・・、人間てェものは、つらい苦しいという峠を通り越さないと『人』というものになりそこなうよ」

「お前さんとこの旦那さんは、昼間会社に出て大勢の人を使う、人を使うは苦を使う。使うんじゃない、使われるんだ。身も心も疲れて、一日の安息所は、わが家よりない。そのわが家がある程度までご自分の思う通りになっていれば、叱言がでるのは、これはあたり前の話なんですよ」

《人間はつらい苦しい峠を越さないと「人」になりそこなう》
とは、これまた落語内での名教訓である。「人」になりそこなう、という部分が特にいいではないか。苦難の峠を越さないうちはまだ人間は「人」ではないのだ。

「落語で江戸を聴く」 槙野修著 PHP研究所 定価 本体1500円(税別)より抜粋

|

« 落語的夫婦の情愛 「火焔太鼓」(3) | トップページ | 落語的夫婦の情愛 「かんしゃく」(2) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 落語的夫婦の情愛 「火焔太鼓」(3) | トップページ | 落語的夫婦の情愛 「かんしゃく」(2) »