一生懸命
他に取り柄がないので、とにかく一生懸命生きてきた。肩にサロンパスを貼って生きてきた。近ごろふと、その一生懸命に疑問を持つようになった。何かもっと別の生き方があるような気がしてならない。
一生懸命は美しい。けれどもそれは、若い生命があってのことではなかろうか。たとえば相撲の若乃花の立ち合い顔、脚の筋力。たとえば通天閣に生きる韓国の歌姫キムさんの涙。いつのころからか私は黒澤明監督の映画から目をそむけるようになっている。近ごろではNHKの大河ドラマ〈琉球の風〉を避け、期待した〈炎立つ〉からも逃げている。大河ドラマというのはどうしてああ力むのだろうか。芸術と名がつくとなぜ力の限界まで出そうと頑張るのだろう。〈炎立つ〉の小手川佑子の張り切り過ぎがドラマを台無しにしてしまっている。日曜夜八時のチッチンで洗い物などしていると、いやでも相棒の観る〈炎立つ〉が始まり、小手川のギリギリギンギンが響くので、早目に片付けて夜の散歩に出ることにしている。
女のわがままは、愛らしく控えめであらまほしい。そうあるとき初めて男は屈服するものだ。また塾女のそれは、藤間紫流に男を何人も喰らった果てのけだるいダミ声を必要とする。小手川佑子演じる結有は若くもなく熟しておらず、一生懸命だけが先行してのわがままなので、可愛げからも色気からも遠い。安部経清(渡辺謙)がそんな女に惹かれるなんて不自然で納得いかない。
まあ、そんなこんなが前兆として現れて、私は自分の一生懸命さを省みているところである。少うしみっともないのではないかと。一生懸命はいそがしいにつながる。いそがしいは「忙しい」と書く。心を亡くするこどだ。思えばこの五、六年、私のメモリーに「発」はなく「返」ばかりだ。つまり、便りの返信がやっとで、こちらから発信していないのである。返信もハガキオンリー。ゆっくり友を思いやっての手紙を書いていない。
一枚のハガキふるえるほどさみし
は私の句だが、多忙多忙と書いて、人をさみしがらせたのは誰であろう私なのだ。一生懸命の手綱をちょっとゆるめると、ほら、小鳥が啼いている。蝉までがやさしい。ぼうっと暮らしたい願望は、もしかするとボケの前兆かも知れないが、それもまたよし。一所懸命はまわりの人も疲れさせる。
「人間ぎらい人恋し」 時実新子著 角川書店 定価1200円より抜粋
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