大喜利で終わらない
落語家 桂歌丸(71)
古典への転機は
テレビ番組「笑点」で三遊亭小円遊というライバルができました。キザとハゲでうけた。「新聞を読んでひと言」というお題があった。「小円遊が殺されたぞ」と答えたら、「小円遊殺しの歌丸が捕まったぞ」と返された。だから、「小円遊殺しの歌丸が無罪になった」。これがバカウケして掛け合いが始まった。寄席でも2人で掛け合い、落語をさぼった。小円遊と同じ事務所を辞め、気づいたんです。落語をちゃんとやらなくちゃ駄目だって。大喜利の歌丸で終わりたくない。落語家になりたい。それで落語にかえった。横浜の三吉演芸場で独演会を持ち、ここだと思ったのです。ガラッと古典に変えたのです。てんぐになっていた。新作をやる人が多い落語芸術協会の中で「人と違うことをやりたい」という思いもあり、古典に入った。手前味噌ですが、一歩下がるほうです。だから古典でもサゲを変えたり、組み立てなおしたり、埋もれた噺を掘り起こしたりしたんです。
「近代落語の祖」といわれる三遊亭円朝に挑んでいます
テレビ局のプロデューサーから円朝の「怪談牡丹燈籠」にあたる「栗橋宿」をやりなさいといわれた。94年です。これがきっかけで96年から同じ円朝の「真景累ヶ淵」の4話を年1話、国立演芸場の8月の中席でやった。それでも噺は終わらないので、台本を書き5席でまとめた。次に牡丹燈籠を4話でやった。今夏は「怪談乳房榎」を演じた。どうやっても3話の長編。しかし分けて演じると無理があり、1話に再編した。毎日1時間以上10日間話していたんです。苦しかったですが、演じて楽しかった。もう来年の予約が入っています。今度は江島屋騒動の「鏡ヶ池操松影」をやりたいと思っています。
三遊亭円生師匠、古今亭今輔師匠ら先人はいいものをうんと残している。後を引き継がないと駄目だと思います。何十年あとになるか知りませんが、私がやったものをヒントに自分なりにこしらえてくれる人がいると思う。財産は埋めておいたんじゃ、財産にはなんない。ましてや芸事。あとへつなげないと。苦しいですよ。苦しいけれど楽しいのです。楽をしたいから苦しむのです。いつ楽するんだと言われると、目をつぶった時だ、と言うんです。死んでまで苦労したくないですからね。
「朝日新聞」人生の贈りもの より抜粋
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